ほっといっぷく

akatonboの日記

2008年11月

私をみつけて・・・

見つけてもらえて、
うれしい、かくれんぼ


かくれんぼの醍醐味は
見つかることですから、
見つけてもらうのが、
どこか嬉しいわけです。
子どもは「そこにいたの!」
なんて言うと、
いつだって喜んじゃいます。

でも、
大人もきっと、
心のどこかで
自分のことを
見つけてほしいと
思っているのかもしれません。


― 伊藤守+坪田一男 ”ごきげん”な自分になれる本 大和書房 より抜粋させて頂きました。 ―


見つけてもらっていますか、
心のかくれんぼ…

自分以外のココロなんてわかるはずがない・・・

自分以外のココロなんて
分かるはずがないのです
ココロは自分が分からない
悲しい嬉(うれ)しい腹が立つ
そんなコトバで割り切れるなら
なんの苦労もないのだが

ココロはひそかに思っている
コトバにできないグチャグチャに
コトバが追いつけないハチャメチャに
ほんとのおれがかくれている

おれは黒でも白でもない
光と影が動きやまない灰の諧調(かいちょう)
凪(なぎ)と嵐を繰り返す大波小波だ
決まり文句に殺されたくない!

だがコトバの檻(おり)から逃げ出して
心静かに瞑想(めいそう)してると
ココロはいつか迷走している(笑)

― 谷川 俊太郎 これが私の優しさです―谷川俊太郎詩集 (集英社文庫) ―


ココロは自分が分からないです。
自分でココロが分からないです。
まして、自分以外のココロなんて分かるはずがないのです。

そこを出発点とするからこそ、
謙虚さが生まれ、相手にも受け入れやすいのです。
(受け入れやすいのであって、まだまだ、受け入れてなどもらえません)

分からないこと、知らないこと、理解出来ないこと、
自分の立ち位置を変えて、眺めてみる、
思考を巡らせてみる。
完全には、不可能ですがその人の立場に近付いてみる。

同じ言葉でも、受け止め方は大きく変わり、
その声をココロでは聞かないけれども、鼓膜には届いてきます。

自分のココロが分からないのに、
自分が感動した言葉
自分が経験し感じたこと、
相手の耳に心地よいとは限りません。
まして、経験したことなどわかるはずがありません。

また、それを聞かされて、
理解しようと苦しむこともありません。


言葉でも、
なんでも、
意味するものは、
一つではありません。
また、
0か100か
という二つだけでもありません。
人の心というものは、
指で数えることなど、
できはしないのですから…
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