九州のお母さん(姑)が今朝亡くなった。
私のお勤めもこれで終わりです。
結婚当初は、スープの冷めない距離に住んでいたこともある。
まだまだ元気で働いていた。
少なからず衝突した事もある。
長男(義兄)が結婚、同居するために九州へ帰って行った。
お嫁さんと上手く行かず、別居する事になってしまった。
それからっも、ずっとずっと元気で働いていた。
早くに夫を亡くし、女手一つで4人の子供を育て上げたお母さん。
私が1ヵ月半ほど入院した時に九州から駆けつけて来てくれた。
それなのに小学生の娘から「お婆ちゃん帰って!」と言われる事があった。
子供とも本気で喧嘩をする少し気性の激しいお方でした。
離婚前の長い別居生活の間も、その後も子供達を連れて行き来させてもらった。
儀兄弟姉妹とも仲良くさせてもらったし、「息子が至らん…」と気遣いもしてもらった。
「なんばしよっとぉ」「はようせんば」「そがんこたぁでけんばい」「ようそげんことするばいねぇ」
そんな声が今でも聞えてきそうです。
お疲れさまでした。
見送りは、喧嘩相手の娘に託します。
私のお勤めもこれで終わりです。
結婚当初は、スープの冷めない距離に住んでいたこともある。
まだまだ元気で働いていた。
少なからず衝突した事もある。
長男(義兄)が結婚、同居するために九州へ帰って行った。
お嫁さんと上手く行かず、別居する事になってしまった。
それからっも、ずっとずっと元気で働いていた。
早くに夫を亡くし、女手一つで4人の子供を育て上げたお母さん。
私が1ヵ月半ほど入院した時に九州から駆けつけて来てくれた。
それなのに小学生の娘から「お婆ちゃん帰って!」と言われる事があった。
子供とも本気で喧嘩をする少し気性の激しいお方でした。
離婚前の長い別居生活の間も、その後も子供達を連れて行き来させてもらった。
儀兄弟姉妹とも仲良くさせてもらったし、「息子が至らん…」と気遣いもしてもらった。
「なんばしよっとぉ」「はようせんば」「そがんこたぁでけんばい」「ようそげんことするばいねぇ」
そんな声が今でも聞えてきそうです。
お疲れさまでした。
見送りは、喧嘩相手の娘に託します。