震災から100日、随分と古い記事ですがようやくアップです。

GWの中日、職場本部青年部の方達が被災地へ炊き出しに行くと知り飛び入り参加させてもらいました。
阪神淡路大震災は都市部での直下型の地震で、木造家屋は破裂した様にへしゃがり燃え上がり、ビルは倒壊し横倒しに広い道路に壁のように立ちはだかり、そして高速道路も同じく…何もかもが崩れた。
その後、素早い速さと連携で近隣各地・全国の事務所から物資を始め支援が届けられた事…。

3月11日あの日は全国各地の事務所で「統一行動」が行われていた。
その当日、まさにその瞬間に地震と津波が襲ってきた…そして何もかも無くなった。
事務所も…、同僚や多くの仲間とその家族が一瞬にして…、未だ安否がつかめない。
近年これほど胸の痛い思いをしたことがなかった。
仕事の繁忙期が終わってヤレヤレの気分どころではなく、そのまま重い気持ちをずっと引きずった。

そこへ本部青年部からのFAXが舞い込んだ…これなら行ける!
青年部のOBを引きずり込んで、もう一人仲間に声をかけて(残念ながらもう一人は体調不良で不参加)現役青年部の若さと行動力について行けない老年部は、一足先に出発し現地で合流させてもらうことにした。

5月2日仕事を終え、準備万端(?)相棒の車で出発!中国道~名神~北陸道とひたすら北へ。
途中で何度も休憩をとりながら5月3日明け方新潟に到着!インター近くのネットカフェで昼まで仮眠。
13時今度は仙台に向かって出発!仙台駅19時到着!明朝5時出発まで駅前ネットカフェで一休み。

5月4日6時30分、石巻の事務所へ到着。まだ事務所が開いてなかったので、辺りを視察。
事務所の壁にも辺りの民家の壁にも、私の目の高さに1本の線が(身長153㎝)明らかに津波の跡。
瓦礫や家屋の1階に置かれていたであろう家財・電化製品・ピアノが道路の端に積み上げられていた。

青年部の方達が到着!なんと神戸から14時間ノンストップで走ってきたそうです。
8時、全国から届けられた救援物資も積み込み、いよいよ炊き出しに出発!豚汁500食です。
会場では衣類や日用品、子供達の学用品の救援物資無料バザーも行われました。
「午前11時から無くなり次第終了」の看板の前には、早くから長蛇の列、混乱を避けるために10時30分に繰り上げてスタートしました。
大鍋で作る豚汁の味が中々定まらなくて、でも皆さん「野菜が食べられなくて、いっぱい入ってて嬉しい」と満足気に頬張ってくれました。
タッパやお鍋で家で待ってる家族の分も持って帰ってもらうなど、13時には豚汁500食ほぼ完食!
片づけを済ませた後、旧北上川の河口辺りが一望出来るとの事で、日和山公園へ案内していただき、青年部の方達はとんぼ返り。
私達老年部は、5月5日1時に埼玉の知人宅で一泊お世話になって、5月6日に神戸へ戻ってまいりました。

福島での原発被災は、まだ進行中でもあり、まだまだ先の長い復興・復旧支援が必要を感じながら被災地を後にしました。