ほっといっぷく

akatonboの日記

2013年08月

第59回日本母親大会

母親大会

8月23日~25日にかけて「官邸前抗議行動」「第59回日本母親大会」に行ってきました。

13:10浅草駅到着、最初に目に飛び込んできたのはスカイツリー、何とも異様な物体に私の目には映りました。(ホテルの窓から否応なしの3日間の景色です)
夜の官邸前行動まで水上バスに乗ったり、「浜離宮恩賜庭園」見学予定でしたが、雨がポツリポツリと・・・、次第に凄まじい勢い雨と頭のすぐ上で稲妻と雷鳴、見学どころではなくなりました。

官邸前行動も危ぶまれていましたが、何とか参加することができました。
集会やデモには度々参加していますが、「イデオロギーを超えて・・・」と行動の説明があり、組織や団体の行動ではなく、自発的に集まって来る集会への参加は初めてです。
北海道から九州・沖縄から「原発いらない!」「子供を守ろう!」「原発売るな!」「全ての原発即時停止!」「廃炉!廃炉!」「子供を守ろう!未来を守ろう!」その熱気に圧倒されました。
福島からの参加者は「子供がの甲状腺癌について」、四国からの参加者は「活断層や地殻変動について」等など、切々と深刻な現状や原発の危険性を訴えられていました。

翌日、雨のお陰もあるかも(?)ですが、東京でも早朝の空気は美味しかったです。
1955年(私が生まれた年です)、「世界の母親・女性が手をつなぎ、核戦争から子供を守りましょう」と世界母親大会に集い誓い合った日から、日本の母親・女性は、戦争放棄の日本国憲法に思いを重ね、民主主義を学び広げ、途切れることなく大会を開いて59回目、千葉・幕張メッセで開かれた大会には、全国から7,500人が集いました。
今大会では、「いまこそ日本国憲法を国民生活の隅々に」と、若い世代とともに、地域・職場に根をはって、「だれもが人間らしく生きられる核兵器のない21世紀」の実現めざして行動するために学び、交流しました。

最終日、虎ノ門ニッショーホールで開かれた分科会「人権としての社会保障の実現を」に参加しました。

生活保護は憲法25条の生存権保障を具体化した制度であること。
3人に1人は非正規労働者、年金だけでは生活できない高齢者が急増していること。
生活保護基準の引き下げは、労働者の最低賃金、地方税(住民税)の非課税基準、就学援助の給付対象基準、生活福祉資金の貸付基準、介護保険の保険料・利用料や障害者自立支援の利用料の減額基準などに連動していること。貧困と格差拡大の要因について話し合いました。

最後に、新神戸駅で買った「アオギリにたくして」を神戸に着く前に読み終えたε-(´・`) フー

今年も参加

命を生みだす母親は 命を育て 命を守ることをのぞみます
「第59回日本母親大会in東京」今年も参加します。
今回は、「人権としての社会保障の実現を」-憲法25条、生存権、生活保護制度
この分科会テーマのお話を聞いて来ようと思います。

その前日、
「0823 大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議!行動」にも参加してきまぁす。。

何時もの東京行きなら昼間の集会なので、6時の出発だけど今日は夜の行動だからゆっくり、軽く朝食しながら打ってます。
(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-時間です!イッテキマース"8-( *~▽~)カタカタカタ--..

研修終了

終わったぁぃ\(^^)/もう満腹っす!
消化不良を起こさないように、ちょっと腹ごなしo(*^▽^*)oあはっ♪

さて、これは何でしょう?
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ミシンのベルトでございますぅ。。
以前、ミシンを部屋に運び込んだは良いが、ベルトが引越しのドサクサで行方不明になったままでした。
研修の帰り道、娘(次女)ん家へ寄ったら、孫たちはスケボークラブのキャンプへ行ってるとかで、娘と二人でお買い物。
お買い物と言っても、目的はこのベルトだけだったんですけど、ミシンの機種と記号番号はメモって何時も持ち歩いてたのに、なかなか何かのついでには買えない物だからね。
ところが、「これでやっとミシンが使える」と思ったのに、ミシン屋さん曰く「機種と番号だけでは長さが分からない」って、困った(;´Д`)もんだ。
「合わなかったら交換してあげる」と言われるまんまに、一先ず買って帰ってきたのは良いが・・・合わなかった(;´д`)トホホ

早速、長さを測ってメモってはみたが、「また今度」が何時になるやら・・・。
一日置いて、明後日から今度は「σ( ̄。 ̄) オイラ東京へ行くさ」

追記
娘ん家また家族が増えてた(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-
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このワンコの他にもセキセイインコが1羽

研修一日目終了

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やれやれ(^▽^)
研修1日目が終わって、宿舎の窓からの1枚。
6時頃だったかな?まだこんなに明るい。
透けて見えそうな、白く儚げなお月様が好きなんよねぇ。。
この写真じゃ全然その感じが出てないけどね^^;
手前は、須磨の海岸です。
暑かったけど、平日の夕方で、人は居なかったぁ。。
明日もう1日、確りお勉強するかぁ(ー。ー)フゥ

夏季研修

今日から夏季研修。
全国主催とと兵庫県主催が交互にあって、今年は県主催。
県主催でも兵庫県は瀬戸内から日本海に貫いているので、神戸から離れて少し遠方へ行くことが多いのですが、今回は須磨(*ノ-;*)エーン近すぎるぅ。。
目的は研修交流なのはわかってるんだけど、神戸から離れるとチョット旅行気分になれるし、地方へ行くと朝の空気が美味しいんですよねぇ。。
何時もは寝坊の私も、旅行先では誰よりも早起きなんですよ。
朝風呂に入って、周辺を散策するのが楽しみなのになぁ。。
そろそろ出発時間です。
では、======☆(((((((((^ー^*)ノイッテキマース♪

盆踊り

何年振りだろう?20年以上は経ってるかなぁ。。
友人に誘われて、村の盆踊りに行ってきました。
小さな神社の境内で、総勢で50?・・・60人余りかなぁ?
青年団(消防団かも?)・婦人会・老人会の方々と中・小学生に幼児、若い浴衣姿の女の子なんて一人も居なかった。
一緒に連れて行ってくださったのも、友人のお知り合い70歳前後のご婦人が3人。
櫓の上でマイクを握って音頭を歌っているのもご老人。(お囃子はテープです)
揃いの浴衣で踊っているのは婦人会の皆さんで、今日のために毎日練習をしているそうです。
音頭も踊りも初めてのものばかり、休憩中にテープで炭坑節を流していたけど、休憩中だから誰も踊らないし・・・。
IMG_0863そんな中で印象的だった光景が一つ。
新三田音頭(通称ケンケン踊り)と言ってテンポの速い音頭で、それに合わせて踊る婦人会の中に3人の男性。
老人と言うには失礼なほど、若さがあった。
腕まくりをして、小走りに右に大回り、左に小回り、腕を振って「アッ!ヨイサァ!!」の合いの手。
(正確な振りではありません。雰囲気です。)
軽快で迫力がありました。
やがて、音が止んでシーンと静寂が戻ると、どこからかトトロが出てきそうな、そんな「森に鎮守の夏祭り」でした。

昨日の続き

早朝の騒動の後、折角早起きしたのでお掃除して洗濯して、ちょこっと小用を思い出して事務所へ。
暑いけど運動不足の解消に歩いて行くのも良いかなぁと思って事務所までは歩いて行ったんだけどね。
3箇所を訪問するにはなぁ・・・(*゜o゜)/チョイトオマチ!!目の前の事務所の宣伝カーの誘惑に負けてしまいました。
お陰で小用も早く終わって、!(・。・)b 「そうだ!」車のオイル交換だ!と思って行ったら整備屋さんは盆休みでした。
(;´д`)トホホだったけど、!(・。・)b 「そうだ!」洗車だ!思い直して後戻り。
洗車を終えて駐車場に戻ったのが13時。

駐車場の真ん前に県の重文財に指定されている「旧九鬼家住宅資料館」てのがあって、以前から一度覗いてみたいと思っていたので寄ってみた。

旧九鬼~1擬洋風建築(ぎようふうけんちく)と言われる建物で、1階は純和風で2階が西洋風の造りになっているそうです。
残念ながら2階は8月25日からの公開で見学できませんでした。
もう一つ、此処には他にない特徴がありました。



IMG_0849 (160x120)それは、屋根瓦です。
上段が九鬼邸の瓦は、左桟瓦または左勝手と呼びます。
下段の瓦は現在一般的に使われている瓦です。
右の写真では少しわかりづらいかもしれませんが、形状が下段の瓦は「へ」の字ですが、冗談の瓦は逆「へ」の字になっています。
私も初めて見ましたって言うより、瓦の形状を意識して見た事がなく(´ρ`)ヘーって感じです。
日本中を見渡せば西日本の一部の町とこの地域の古い家の一部に残っているそうです。

ちょっと風変わりな建物ではありますが、私は元々建物に興味があった訳ではなく、九鬼さんに興味があって資料館を訪ねてみたいと思っていました。
何故、三重県鳥羽の水軍がこんな見渡す限り山ん中にやって来たのか?大変興味深かったからです。
IMG_0861他に見学者が居なかったので、館員さんの説明を独り占め出来たお陰で色んな発見がありました。
私が生まれ育った神戸とも深く関わりがある事など。
この上りには「山の九鬼・海の九鬼」と書かれています。
紀州熊野灘に面した九鬼浦(三重県尾鷲市)を根拠地とした海賊であった九鬼嘉隆(1542-1600)は、北上して志摩の波切に勢力を築き、織田信長に仕えて伊勢・志摩を平定し、朝鮮出兵に際しては「日本水軍」の大将として日本丸を率いました。
私は神戸なので「村上水軍」の名前だけは知っていました。遠縁にも居るようですが、この村上水軍を鉄甲船で撃破してるんですねぇ。。
その後、家督を譲り受けた守隆(1573-1632)は関ヶ原の戦いで東軍に参戦し、鳥羽五万六千石の大名になりますが、守隆死後の家督争いを口実に幕府裁定で、久隆(1618-1649)に三田三万六千石、隆季に丹波綾部二万石が分与される。
当時の幕府は、九鬼嘉隆率いる「水軍」で名を馳せた九鬼家が脅威だったのでしょうねぇ。。
いずれも山中の盆地で、九鬼家は「陸に上がった河童」同様になってしまいましたが、ここから三田藩「藩祖久隆」から「13代藩主隆義(1837-1891)」廃藩置県まで240年間(歴代藩主が20代・30代・40代で若死にされてる)三田藩を統治しました。(山の九鬼・海の九鬼」と言われる由縁でしょうか?)
この九鬼隆義さんが明治5年(1872)、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)と小寺泰次郎(三田学園創設者)らとともに神戸初の輸入商社を設立するなど、神戸の街づくりに多大な影響を及ぼしたそうです。

「早起きは三文の徳」と言いますが、「得」したような気がします。

事件です?!

今朝、何げに目が開いて1・2秒程だったと思う。
突然「ジリジリジリー」(学校の始業ベルのような音)エッ?!(・◇・;) ドウシタン?
何しろ目が覚めるとほぼ同時に警報器と思われる音が鳴り響いて、時計を見ると午前5時。
火事か?泥棒か?(◎_◎) ン?何が起こってるんだろうとベランダへ出て、耳を澄ませてみたが聞こえるのは蝉の声と鳥の囀りだけで、人のざわめきも煙も臭も何も無い。
兎に角、何時でも飛び出せるように洋服に着替えて、今度はドアの方へ行って耳を澄ませてみたが、人の声や足音はしていない。
ドアとベランダの間を何度も行ったり来たり、警報器の音がずっと鳴り響いているのに人が動いてる気配が無い。
皆んなどうしてるんだろう?どうして出てこないんだろう?もしかして皆んな帰省中で今この建物には私一人なの?
(^ー^;)ヨシ!こんな時は慌てちゃダメなんだ!誘導があるまで待ってみようとパソコンの前にドカンと座って時計と睨めっこ。
そして5時10分ピタッと警報器の音が止んだ。
いったいぜんたい何が起こって?どう収まったん?ヾ(ーー )ォィ(o゜◇゜)ゝォォオオオイイイィィ!!

今朝のひと騒動でしたチャンチャン

お盆です


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暦の上では「秋」、稲穂も少しふっくらしてきました。
でも、立秋過ぎてからの猛暑ですね。
皆さん、体調崩されませんように「実りの秋」もう直ぐそこまで来ていますよ!

13日まで仕事だったので、一日遅くなったけど夏っちゃんのお迎えに^^

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娘達が保育所に通っていた頃、何時もお迎えの遅刻常習犯でした。
夏っちゃん迷子にならずに帰ってこれたかな^^;

お兄ちゃん、お姉ちゃん達には、巨大スイカのお土産。

suika

今年のは更に大きい@@10㌔以上あるよ!!

痛い散財・゜・(ノД`)・゜・

今日は、神戸も三田も花火大会でした。
子供の頃は、物干しから花火見物が出来たのになぁ。。
最近は、高所へ登るか間近まで行くかしないと見れないよね。

あぁ、痛い散財は花火を見に行ったからではなくて、タイヤのパンク!
15時から通行規制がかかるので、それまでに一仕事片付けておく必要があって、取り急ぎ昼過ぎから郵便局へ。
郵便局の駐車場に車を止めて降りようとすると、前におじさんが立ちはだかて何やら難しい顔をしていた。
(・・?)ん?何かまずい事したかなぁ。。
「タイヤ、パンクしてるよ!」って言われて見てみると、(・o+) アチャー右前輪のタイヤがぁぁぁ!!
お礼を言って、用事を済ませて、郵便局の前のオートバックスへ駆け込んだ。
調べてもらったら何かを踏んだらしく、小さな穴が開いていた。
何時踏んだのか分からないけど、「空気が減ってからもかなりの距離を走っていた様だ。」と・・・。
ヾ(--;)ぉぃぉぃ、昨日も一昨日も神戸↔三田を人を乗せて往復してたよ。
両日とも往復<R428>を走ったけど、高速走ってたらって考えたら(ーー;)ゾッ!

「一本でも交換できますか?」
「出来なくはないですが、前輪駆動なので左右同じように交換した方が良いですよ。」
(そうりゃそうだけど・・・)
「よく走ってるようですし、2年くらい経てますか?」
「中古のタイヤなので、それ以上かと・・・」
「規格のタイヤより、大きいのを履いてますね。車検通らなくもないけど・・・。」
「はぁ、、車検はタイヤ買ったところで受けてますから。」
(遠出するし、高速走るし、人も乗せること多いしなぁ、そろそろ、換え時?来年車検なんだけどなぁ。。)
あれこれ考えた結果、全部交換する事に決めた。
交換を終えて、ボコボコ&ドロドロの車体にピカピカのタイヤ(〃^∇^)o_彡☆あははははっ

しかし、笑ってる場合じゃなかったのだ。
15時過ぎちゃって、ガレージに車を入れられなくなってしまったのでした。
お財布も空っぽになって、行くあてもないまま、篠山方面へドライブして来ました。
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